業務連絡

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<政策的側面>

 欧州では19世紀からテレビの着想をしており、1935年にドイツで定期放送されたのが世界初のテレビ放送であり、ベルリンオリンピック大会ではついに実況放送された。そしてイギリス・アメリカと、続々とテレビ放送が開始されていったのである。
 日本におけるテレビ研究は1920年代から始まり、戦前には実用化の一歩手前まで進んでいた。1940年の東京オリンピックでの中継を目指し、東京電気(現在の東芝)など多数のメーカーが受像機を製造していく中、結果的には東京オリンピックは中止になるも、研究は続けられていった。
 しかし第二次世界大戦の勃発によって、ほとんどの国々がテレビ放送を中止したり、技術発展を押しとどめたりせざるをえなかった。これにより日本のテレビ技術は諸外国に大きく立ち遅れてしまうことになる。日本はGHQの指示により「テレビ開発の技術は、軍事レーダーの技術に応用できる」としてテレビ研究を中止させられ、また物資の不足や緊急課題の発生のために、研究機関・メーカーともにテレビ研究を再開する余裕がなかったのである。本格的に研究が再開されたのは1948年、NHK技研からであり、各メーカーもこれに続いた。
 1953年、通産省は将来の産業育成のために、テレビ産業に対して国産化を進める対策を取り始めた。代表的なものとしては「輸入禁止」であり、これによって輸入が全てなくなったわけではないが、テレビ受像機の国内市場は強固に保護されたのである。しかし外国技術の導入に頼らざるを得ない状況もあり、製品の輸入はしないものの、技術提携やノウハウ契約を結んでいた。
 その後1957年に、カラーテレビの発展を促す「電子工業振興臨時措置法」や、1958年の「電子工業振興5カ年計画(テレビを政策育成の対象から外し、輸出を増加させる対象とみなす)」など、テレビ受像機の位置づけが変わっていくことになる。それに伴い、1950年代末からは貿易自由化が問題になった。テレビの輸出は、少量ながらタイやスウェーデンなどに向けて当初からあったものの、当時のアメリカ市場の成熟性・多様性に絡めて、日本のアメリカへの輸出が急激に増えていった(図1)。この対米輸出が本格化してくると、輸出秩序の確立が問題となったのである。トランジスタ・ラジオ、真空管と続いた日本からの電子製品の輸出が貿易摩擦を引き起こし、輸出価格、取引系列、ブランドの届け出、ミニマム・プライスの設定、不当宣伝の制限などを取り決め、また1964年にはFCC規格(注1)に準拠した輸出テレビの品質規制を行い、価格・品質両面からの輸出秩序の確立を図った。テレビの対米輸出は、管理貿易的な要素をもっていたのである。
 国内市場に目を戻すと、日本ではアメリカ市場同様の変化が起こりつつあった。1961年の後半頃から日本の各メーカーは、買い替えあるいは2台目需要をねらった製品戦略を取り始め、その代表に挙げられる一つがトランジスタ・テレビであった。トランジスタ・テレビは1958年にモトローラが最初に発売したが、日本でもはやくからNHK技研で研究が進められていた。NHK技研の研究は1956年に始まり、これはトランジスタメーカーとの緊密な連絡をとり、各メーカーと連携して研究をしていった点が特徴的である。
この特徴は後のカラーテレビ開発にも受け継がれることとなり、1957年にはカラー受像機試作委員会が設置され、官民共同でのカラーブラウン管の研究が進められた。構成は電波技術協会が中心となり、NHKやブラウン管各メーカー、部品材料メーカーや学識経験者などであった。この共同研究によって、カラーブラウン管の開発速度を高め、また当初はブラウン管の国産化を目標としていたが、それだけでなく部品、材料の国産化にも成功させた。さらに当時のブラウン管メーカーを網羅した研究であったため、すべての企業がカラーテレビ市場に参戦できた等、多数のメリットを生み出した。しかし一方では、アメリカ市場からのカラーテレビ需要という偶然性に助けられたという面や、ノウハウ契約等技術関連においては外国技術への依存がぬぐい切れなかったという面もあった。



<コメント>
約1700字。悲しいことに目次案の順番を忘れてしまったため、この章(?)を導入とし、歴史的背景を少し混ぜています。さて、問題はこの後どう薄型につなげていくか。70年代以降の記述がないんだよね・・・。
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この記事へのコメント
私に父は(もう亡くなりましたが)NHKの技術者でまさしくこの文章の通りの開発をしておりました。
我が家は実験放送のブラウン管丸出しから見ておりました。
その頃は近所の人や電車に乗って我が家にテレビを見に来また。
カラーテレビもとても見れる状態でない最初から見ておりました
特に父は全国の放送局を周り、アンテナ整備をしておりました。
NHKは父がなずけ親です。
埼玉の放送局からS27年東京に移り、
S38年技術研究所の近くの用賀に移り技研にはよく行きましたその頃からNHKはハイビジョン放送に力を入れておりましたがやっと実って現在に至りました。
最近我が家でも47インチフルハイビジョン
(カメラのような画素数、テレビでは考査線数)
テレビを買いましたがとても綺麗です。
但しカメラが良い場合だけですので特に海外はあまりまだ綺麗ではありませんね。
学問ではなくつい思い出として書きました。

2007/10/08(月) 14:08 | URL | 竹田恭子 #-[ 編集]
薄型ですね
パソコンと同じで
技術革命でICチップが小さくなったのと同じで
小さくなったおかげで体積がへる=薄くできる
それが根だと思います
たぶん・・・・
以上いい加減な予想妄想でした。
2007/10/08(月) 15:22 | URL | アース #WD969ZfI[ 編集]
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